【ベネズエラ】南米ベネズエラ01 ベネズエラの基本知識と現地で感じたこと

ベネズエラ

 

 

2020年1月30日~2月26日まで南米旅行に行ってきました。
この頃の南米は、新型コロナウィルスの感染者もおらず、何の影響も受けることなく旅行をすることが出来ました。 
2020年2月にベネズエラに行きましたので、その情報を共有したいと思います。

 

 


そもそも『ベネズエラ』とは?


正式名称ベネズエラ・ボリバル共和国(Republica Bolivariana de Venezuela)、通称ベネズエラは、南アメリカ北部に位置する連邦共和制国家。東にガイアナ、西にコロンビア、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。首都はカラカス。コロンビアと共に北アンデスの国家であるが、自らをカリブ海世界の一員であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、オランダ王国のABC諸島(キュラソー島など)、トリニダード・トバゴといったカリブ海諸国が存在する。
南アメリカ大陸でも指折りの自然の宝庫として知られている。原油埋蔵量は3008億バレルといわれ世界最大と言われているが、近年は急速に原油生産が低落している。
国名中の「ボリバル」とは、ラテンアメリカの解放者・シモン・ボリバル(シモン・ボリーバルとも表記する)のことである。

 

 


地図
 

 

 


シモン・ボリバルとは?

 

シモン・ボリバルは、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家。 ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことがきっかけとなって、その後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。

 

 

実際彼の名は、現在でも南アメリカ各地に大きな影響を与えている。
ボリビアの国名の由来にもなり、ベネズエラではボリバルが革命議会を開き拠点としたアンゴストゥーラの街が、ボリバルにちなんでシウダ・ボリバルと改名された。またカラカス最寄りのマイケティア国際空港はシモン・ボリバルの名を合わせ持つ。

 

多くの街角には解放者ボリバルの銅像が立ち並び、ベネズエラの地図作成の役所は「ベネズエラ地理院シモン・ボリバル」を正式名称とする。カラカスのボリバル広場と、ボゴタのボリバル広場は、それぞれベネズエラとコロンビアの首都の中心広場(プラサ・マジョール)という。

 

ベネズエラの通貨単位はボリバルで、紙幣の肖像画も多くはボリバルのものとなっている。1999年にベネズエラの大統領に就任したウーゴ・チャベスは、ボリバル革命を唱えて国名に「ボリバル」を挿入し、ベネズエラの正式国名は「ベネズエラ・ボリバル共和国」となった。
(それぞれwikipediaから引用)


実際、高額紙幣にはシモン・ボリバルの肖像が描かれており、街中にもシモン・ボリバルの像(胸像)がたくさんありました。

 

 

シモン・ボリバル像
 

 

 

言語
言語はスペイン語です。英語表記はほとんど無く、英語もほとんど通じません。

私は基本的に、英語を話すことが出来る現地ガイドと英語で会話しました。それ以外はGoogle翻訳で何とか乗り切りました。

 


流通している通貨について
ベネズエラの通貨は、『ボリバル・ソベラノ(BsS)』。
デノミネーションに伴って、2018年にボリバル・フエルテに代わって誕生した通貨ですが、既にこの通貨もハイパーインフレ状態。
2020年2月時点における価格は、なんと
1USD = 78000BsS

しかし私が実際現地で支払ったレートは、
1USD = 60000BsS
でした。
このレートでホテルと夜行バスの支払いをしました。
どっちが正しかったのだろう?


ボリバル・ソベラノは安定性がないため、ベネズエラ国民は常に自国通貨の変動をチェックしており、その手段として以下のアプリをスマートフォンにインストールしています。一般的に公表されているレートと実際のレートに隔たりがあるからです。このアプリでは、実際のレートを確認することが出来ます。とは言っても、ベネズエラでしか役に立たないアプリ(笑)…。
私も実際インストールしていきましたし、現地で出会ったツアーガイドもインストールしていました。


dolartoday.ve

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App Store
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ちなみに、このブログの記事を書くにあたって、改めてベネズエラ ボリバル・ソベラノの現在価値を確認してみましたが、コロナ禍の影響もあってか更に暴落しており、

1USD = 180,000BsS

でした。

もう訳わからんです(2020/05/15現在)。

 

 

 

 

基本的にはボリバル・ソベラノで支払いますが、USドルでも支払うことが出来ます。
ただUSドルで支払った場合、そのお釣りが金額が高額になってしまうので、街中で利用できるのはせいぜい20USドル札までです。
実際に見かけたお札は、500、10000、20000、50000ボリバル札です。
1~200ボリバル札も存在するらしいですが、ハイパーインフレのせいでみかけませんでした。
 



これで日本円にして大体2000円無いぐらい・・・

 


ブラジル国境の近くにある町、サンタエレナ・デ・ウアイレン(Santa Elena de Uairen)ではブラジルレアルでの支払いもできました。
コロンビア国境付近でコロンビアペソが利用可能かどうかに関しては、行っていないのでわかりません。


旅行者がよく訪れるところ、特にバスターミナルには、多くのCambio(カンビオ:両替人)がいるので大丈夫です。
「カンビオ、カンビオ」と叫びながら、普通に札束を見せびらかしていたり、スーパーのビニール袋に入れて持ち歩いています。

 

 

シウダード・ボリバルのバスターミナルにて

 

 

カラカスは行っていないのでわかりませんが、少なくてもサンタエレナ~シウダード・ボリバル間の人が沢山いるところにおいては、お金を持っているからという理由だけでその人を襲ったりするというようなことはありませんでした。そういう意味ではある程度秩序のある国民たちだと思います。

まあそれは、それだけ『現地通貨の価値が低い』という裏づけでもあるのだけど…。

 

 


ベネズエラで感じたこと

混沌への経緯
ベネズエラは伝統的に親米路線をとっていましたが、1999年のウゴ・チャベス政権成立以降は反米を基調としています。アメリカは、ベネズエラの人権状態などに強い批判を行い、2015年3月から政府関係者に対する経済制裁を行っています。ただし、ベネズエラにとってアメリカは現在も最大の貿易相手国であり、民間では強い関係性をもっているようです。

 

 

長距離バスに乗ったとき、バスが給油したのでその時のメーターを写真に撮りました。

300リットル14.42ボリバル・ソベラノ。

この”14.42”は文字通り14.42ボリバルなのか、それとも14,420ボリバルなのか…?

(ちなみに路線バスの値段が3,000ボリバル、トイレが2,000~4,000ボリバルでした。)

仮に14,420ボリバルだとしても、日本円にして30円程度。

 

破格の安さ!

 

 

 

 


雰囲気
私が訪れたのは、シウダード・ボリバル、カナイマ、そしてサンタエレナ・デ・ウアイレンです。
カナイマは完全な観光地、サンタエレナは小さな国境の町という感じでした。

どの街も雰囲気が違うので一概には言えませんが、閑散としていて”人が少ない”と感じました。

 

 

地図

 


シウダード・ボリバルにて

 

 


観光
実際景気が急激に悪化したのは2015年ぐらいからで、それまでは観光客がそれなりに訪れていたのが急に減ったらしいです。
ベネズエラの一番の観光地はギアナ高地で、シーズンオフにあたる乾季(12~3月)はもともと観光客は少ないらしいのですが、今では昔の乾季よりも、今の雨季の方が観客が少なくなってしまったと言っていました。
私がシウダード・ボリバルで出会ったツアーガイドは、『観光客に会ったのは2週間ぶりだ。』と言っていました。

またカナイマ(ギアナ高地)でお世話になったツアーガイドは、『日本人に会ったのは4年ぶりだ。』と言っていました。


実際カナイマには、おしゃれなバルコニーがあるロッジ(ホテル)が沢山あるのですが、そのほとんどがガラガラで全く人影がないという状態でした(一応オープンはしている)。

 


 

 


治安
地域によって温度差があるので一概には言えません。
首都であるカラカスは、犯罪発生件数世界ワースト10に含まれるほど、非常に治安が悪いと言われていますが、
私が訪れたシウダード・ボリバルは閑散としていましたが、それほど物騒でもありませんでした。
ただツアーガイドからは、
『夜はあまり出歩かないほうがいい。そもそも見るところなんて無いしね。』
と言われました。

カナイマは至って平和・安全でした。
荷物を放置していても盗まれることはなく、住民の大半は穏やかに過ごしており、小学校・中学校もありました。
(カナイマは陸の孤島で人口が少ないため、犯罪を犯すと誰が犯人か直ぐにわかってしまう、というのもある。)

実際、カナイマに住むベネズエラ人が、首都カラカスの暴動のニュースを見ながら笑っていました。

 

 

カナイマの村長的な立場の人。観光客が来たときは、このような民族衣装で出迎えていました。

観光客がいないときは、我々と一緒でスマホをいじったり動画を見たりしていました。

 

ボートタクシーでの移動

 

 

 

という感じて、私が実際に体験した話はまた今度。

 

 


つづく

 

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