2015/8/4
午前8時に起きた。
ダイビングは11時30分からなので、外出しようかなと思ったが別にしたいこともなかったし、とにかく暑いので、ホテルでずっとバラエティ番組を見ていた。
とは言っても何を言っているのかよくわからないが…。
ちなみにダイビングショップは、埠頭の先端で見つけました。
町の中央には事務所があります。ポセイドンと言います。
11時30分が近づいてきたのでチェックアウトした。ホテルの前で待っているとアレックが来た。
車に30分ほど乗って海水浴場にいった。ここは半分が海水浴場で半分がダイビングポイントになっているところだ。
ということでダイビングした。
私のバディはサージ(セルゲイ)という。190cmぐらいの大きな人だったが、よく私をリードしてくれた。
海岸なので深度は5mしかなかったが、タツノオトシゴがいっぱいいたのでよかった。
今回ダイビングをする予定がなかったので水中カメラを持参していなかったのが残念だった。
機材フルレンタル、潜水時間50分で 750UAH(約4500円)だった。安い方である。
ダイビングが終わり、バディと別れてアレックに町まで送ってもらった。
途中、「フクシマの現状はどうなんだ」と聞かれた。
それ相応の回答をした後で、「ウクライナ人は福島のことをよく知っているのか」と聞いたら、
「うちにはチェルノブイリのことがあるから、ウクライナ人にとってあの原発事故は非常に興味がある」と言っていた。
次に、「どうしてウクライナに来たんだ。ウクライナは怖くないのか?」と聞かれた。
私は、「オレ実はガンダムがすごい好きで、オデッサはガノタにとっては聖地なんだ。だからオデッサに来たんだ」
と言おうと思ったが、多分理解できないと思ったので大人の対応をしておいた。
「オデッサは前々から非常に美しい街だと聞いていたのでどうしても訪れたかった。ウクライナに関しては、確かに東部やクリミアに関しては怖いイメージがあるが、西部のキエフ、オデッサ、リヴィウに関しては大丈夫だと思った。だから来たんだ。」
と言ったら、「そうだろう。確かに西側に関しては危険ではないが、”ウクライナは危険だ”というイメージがあるため、僕の友達のロシア人も会いに来ないんだ。嫌なプロパガンダだよ」
と言っていた。おお、なんかまともな会話ができたような気がする。
時間もあっておなかが空いていたので、「ボルシチ食べたいんだけど、いいレストランない?」と聞いた。
「???」という顔をされ理解してくれなかったので、
「ウクライナの伝統的料理で、スープで、赤色で…」と言ったら、
”ボリューシュ!”と言った。「ボルシチ」と全然発音違うじゃないか!
ということで、地元でも有名なレストランを紹介してもらい別れた。
そこでボルシチ、ビール、ポークを食べた。 220UAH(約1300円)ぐらい。
時間は午後4時ぐらいだった。
列車の時間は18時30分なので、もう一回ポチョムキンの階段に行ってみた。
とは言っても何もすることがないので、30分ぐらいボケ~としながら階段で座って、
mp3プレーヤーで「風にひとりで」を聞きながらオデッサ港を見ていた。
最後に、オデッサの戦い (1941年)、ロシアとのウクライナ紛争、そして…
オデッサ作戦に参加した、全ての戦死者に対して、哀悼の意を表 し、(全員)敬礼!
しておいた。
(私が・・・、上手にできなくて、すみません…)
名残惜しいが時間が来たのでポチョムキンの階段を後にした。ホテルに戻り荷物を受け取って駅に向かった。
無事目的の列車を見つけ乗り込んだ。列車は定刻通り発車した。次の目的地、リヴィウを目指して…
きみは、生き延びることができるか…
(つづく)
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