【ロシア】シベリア紀行02 零下20度のハバロフスク観光

ロシア

果てしなきシベリア鉄道

 

 

2017年11月25日
午前8時過ぎ。
列車は定刻通り、ハバロフクス駅に到着。
午前8時過ぎだが、経度は日本よりも西にあるのでまだ薄暗い。

 

列車での移動経路

 

ハバロフスク駅にて

 

ハバロフスク駅 ハバロフスクという地名は、冒険家「ハバロフ」にちなんで付けられたそうな。

 

 

列車を降りてまず感じたことは、

「クソ寒い!」

この時点で今が何度なのかはわからなかったが、明らかにウラジオストクよりも遥かに寒い事だけはわかった。

 

時間はたくさんあるので出来るだけ歩いて観光することにする。

ハバロフスク駅からアムール川のほとりまで2kmぐらいある。
その途中に私が予約しておいたゲストハウスがあるので、まずはそこに行くことにした。

スマートフォンの地図を見ながら10分程度で到着。地図は大きな建物を示している。
しかし
「どこが入り口なのかわからない…」

 


実はこれがゲストハウスの入口なんだが、わかるわけないよな…

 

建物にはゲストハウスの目印もない。入口にはロックがかかっている。
この建物の前で1時間ほど迷った結果、時間がもったいないので先に観光に行くことにした。

 

 

アムール川
凍っている。聞いた話によれば、もっと沖の方までいくとまだ完全には凍っていないので、波の音が聞こえるそうな。

非常に寒く、被っていたフードを取る気にはならなかったので断念。

 

寒いのさえ我慢すれば普通に歩ける。

 

完全に凍ってます。

 


川の上に立っている証拠

 

 

ウスペンスキー大聖堂

 

 

この教会はソ連時代を通じてハバロフスクで活動していた唯一の教会で、十月革命に伴って閉鎖された後、戦争中に再開されて大聖堂となったらしいです。非常に綺麗。

 

 

スパソ プレオブラジェンスキー大聖堂

 

栄光広場に面していて地面から祭壇の黄金のポールまでの高さ95mで、極東ロシアで最も大きな寺院だそうです。
 

ロシア人の戦没慰霊碑。スパソ プレオブラジェンスキー大聖堂のすぐそばにある。

 


帰りはバスで途中まで移動した。25RUB。
途中からゲストハウスがあるところまでは歩いた。

 

バスの中

 


再びゲストハウスがあると思われる建物に到着。
ふと見ると、建物の入り口の前に立っているロシア人を発見。彼にBooking.comで予約した箇所を見せると一緒に探してくれて、ドアを開けてくれた。
「おお、ありがとう」
ということで建物の中に入れて、無事チェックインすることが出来た。

 

室内

 

きれいで快適だった。

 

バスルーム

 


スマートフォンの電源も大分無くなりかけてきたので、ここで1時間ぐらい休憩。
外はマイナス20度。室内は28度ぐらい。すごい温度差である。
カバンの中に入れていたペットボトルの水がシャーベットになっていた。

 

1時間経過。
非常に寒くて正直外出したくないのだが、今日が最初で最後のハバロフスクなので、外出することに。

 

 

これから訪れたい目的地は2つある。日本人慰霊碑日本人墓地である。
出来れば本日中に2か所とも見に行きたいのだが、最悪見に行けないかもしれないので、まずは日本人慰霊碑にいく。理由は、日本人墓地は空港の近くにあるため、明日空港に到着する前に訪問できれば何とかなると思ったから。

 

日本人慰霊碑には、駅前から出発する6番のバスに乗れば行けるらしい。
ということでバスを待つ。

20分経過
「…」

一向にバスが来ない。目的地まで5kmほどあるので、さすがに歩いてはいけない。
仕方がないから近くまで行ってみよう、ということで別のバスに乗ってみる。乗車料金は23~25ルーブル(約50円)なので、大した金額じゃないし。
 

駅前を走るトロリー

 

 

まずは6番に似ている61番のバスに乗った。
いきなり目的地と逆方向に行ったので、次の停留所で速攻降りる。

来た道を少し引き返し違うバス停に到着。
「本当に6番のバス走ってんのかな?」
と思っていると、反対方向(駅側)に向かう6番のバスを発見!
「おおやっぱり走っているんだ。もうしばらく待ってみるか。」
ということで待つことに決定。

 

 

1時間経過
「…」

バスが来ない。他の行先のバスはどんどん来るのに。
さすが気温マイナス20度近くのところで1時間も待つのは辛すぎる…。

風もよく吹く。クソ寒い。
細かな雪が舞い、それが太陽の光に反射し輝いている。これがあの「ダイヤモンドダスト」か…。
さすがキグナス氷河、強烈な技を容赦なく撃ってきやがる…。とか思いながら。

 


残念ながらダイヤモンドダストの写真を撮る元気はありませんでしたので、普通の写真。

 


さすがにこれ以上は待てないと思い、再び目的とは違うバスに乗る。今度も目的地とは違った方向に行ってしまった。しかし今度はかなり目的地に近づいたので、そこから日本時慰霊碑までは歩いて行った。だいたい1.5km。


ということで何とか日本時慰霊碑にはたどり着いたのだが、たどり着いた時には、日が暮れようとしていた。
しかし無事たどりつけて良かった。

 


日本人慰霊碑

 

これが小泉純一郎元総理がコートを脱いでしばらく立っていた碑らしい。
私にはさすがにそこまでの気力はなかった…。

 

慰霊碑

 

合掌

 

 

 

帰りは近くのバス停に行き、30分ほどバスを待っていたら6番のバスが来た。
ハバロフスク駅前に到着した時は、午後6時過ぎ。辺りは真っ暗になっていた。
今日中に日本人墓地に行くのは不可能だ。明日少し早めに出発して見に行くことにしよう。

この後適当に街をブラブラし、買い物をしてゲストハウスに帰った。

 

日本人慰霊碑への移動ルート

 

 

つづく

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