【パラオ】親日国パラオに行ってきた3 ペリリュー島ツアーに参加して

パラオ

戦争の傷跡

 

2017年10月10日
この日はペリリュー島に行きました。

ペリリュー島ツアーというのは、参加者が3人以上になると開催されます。
私がパラオに到着した時、参加者は私とFくんしかいませんでしたが、この数日の間にどんどん参加者が増えてきて、日本人・台湾人10人、欧米人10人ぐらいになっていたためツアー開催。

またこの日の早朝、すごい天候が悪く、かなりのモンスーンでしたが、出発の1時間前には天気が回復し、快晴になっていました。
 

ペリリュー島の戦いとは
パラオ南西のペリリュー島では、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から11月25日にかけて、日本軍守備隊とアメリカ軍の激しい戦闘がありました。10000人以上の日本兵がいたようですが、34人を除いて戦死されたそうです。
ペリリュー島が戦場になったのは、当時ここに十字滑走路があり、それが戦略的に非常に価値があったからだそうです。

 

詳細はこちら
Wikipedia

 


2015年に天皇皇后両陛下もご訪問されたようです。

 

まずは約束の時間にゲストハウスの前で待ちます。
事前に予約しておけば、宿泊先までピックアップしに来てくれます。
料金はツアー代120USDとペリリュー島入島税15USDの合計135USD。

いろんなホテルからの参加者を集めたところでツアーが始まります。
まずは船に乗ってペリリュー島に行きます。乗船時間は大体70分。
この日は日本人約10人、アメリカ人約10人ということだったので、日本人のガイドとパラオ人のガイドが就きました。

ペリリュー島に到着すると、バスに乗って移動します。
目的地に到着するとバスから降ります。そしてそれぞれの場所でガイドさんが説明してくれます。

 


日本製の中古バスでペリリュー島を一周します

 

説明していくのは大変なので、簡単に。

ここは日本兵が隠れていた洞窟の一つ。非常に狭く、そして蒸し暑いところで何百人もの人が暮らしていたらしいです。


ここは博物館になっており、遺品などが飾られています。

 


お墓

 


旧海軍司令部の建物

 

1917年に建てられたらしいです。攻撃の痕もたくさんありましたが原形をとどめているぐらい頑丈に作られていました。

 


ペリリュー神社

 


天皇皇后両陛下が献花された碑

 

その他、日本軍とアメリカ軍の戦車も放置されていたのですが、その大きさも歴然でした。
ゼロ戦、大砲なども放置されていました。当時の様子を伝えるために、あえてそのままにしているようです。

 

感想は、行ってよかったです。
自分が生まれる遥か前に、国のために戦って亡くなった人たちが、日本よりはるか離れた地にも沢山いたということを、じかに知ることが出来て…。そしてこのような人たちの犠牲のおかげで、私達はいろんな国に行けたり、スキューバダイビングが出来たりするのだから。

 


合掌

 


さようなら、ペリリュー島

 

夕方からはシーカヤックに参加しました。
パラオの海には「夜光虫」というプランクトン?がいて、真っ暗のところで海水を泡立たせると、それに合わせて光ります。ほんのわずかな光でも近くにあるとその風景は見れないため、カメラでも撮影することは出来ません。
(デジカメを起動させているときに発光するわずかな光でも、夜光虫の妨げになって見えなくなってしまうため)
ということで写真は無し。しかし非常に幻想的な光景でした。

 

パラオ最後の夜は、FくんとFくんがツアーで知り合った人と一緒に、『フルーツバット』を食べに行きました。
『フルーツバット』とは、夜行性で動物の血を吸うコウモリとは違い、日中でも生活することが出来、主にフルーツを食べるコウモリのこと。
このコウモリを丸ごと一匹ココナッツミルクに浸して食べるのが、パラオ料理らしい。
味は…、鶏肉っていうか、サンマみたいな味っていうか…。

 

 


もちろん普通のシーフードも食べました

 


ちなみにこちらがパラオのビール、RED ROOSTER

 

ゲストハウスに戻った後、帰国の準備をしました。
Fくんは空港で夜を明かすらしい。私はさっさと仮眠することにしました。
 
 

2017年10月11日
午前2時に起床。
服を着替えて、2時30分ほどに出発。
出国手続きをして出発時刻まで待っていると、先日のツアーで一緒だった人たちもみんないました。
どうやらみんな同じパターンで旅行する人が大半らしいです。

飛行機は定刻通り4時40分に離陸して、午前9時半ごろに日本に到着しました。
 
 

終わり

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