夕暮れ時のポタラ宮
2016年5月4日
7時ごろ起床。この日は頭痛がしなくて非常に快調だった。
午前9:30 チベット人ガイドと合流し、まず初めにポタラ宮の入場予約をしに行く。
ポタラ宮は前日に入場の予約をしないと入れないらしい。私が行ったときはガラガラだったが、ガイドが言うには、観光客は大体6月ごろから増えてくるらしい。入場料は11月~4月が100元で、5月~10月が200元。
次にデプン寺、ノルブリンカ、セラ寺、に行った。
(詳細に関しては、ガイドブックなどで確認してください。)
デプン寺
チベットの寺で最大で、最盛期には世界中のどの宗教の寺院・僧院よりも大きかった。ラサの西郊5kmに位置する。
ガイドさんの話によれば、1959年のチベット侵攻以前にはこの寺には15000人もの修行僧がいたらしいが、その後の中国政府の弾圧などにより、現在チベットに住むこの寺の僧は700人ぐらいしかいないらしい。
ノルブリンカ
ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能していた別荘。敷地全体が現在では公園になっており、ラサの人々の憩いの場になっている。
案内してもらいながら、二人で歩いている時に、チベットと日本の違いについて聞かれた。
なので本当のことを教えてあげた。
「まずは標高だね。日本では基本的に平地で暮らすし、日本で一番高い山が3700mなので、ラサのような場所に来ることは非常に珍しいことだ」
「私がここに来て一番印象的なのは、あまりにも警官が多いことだ。そして言論規制が非常に厳しいということ。昨日もホテルでインターネットを見ようとしたが、ほとんどのサイトにアクセスできなかった。
日本も多少の情報規制はあるが、中国ほどではないし、中国と比べても、ここチベットはもっと厳しい」
というようなことを言うと、結構喜んでくれていた。
その他、このようなことも言っていた。
「私は知っている。今日本と中国が仲が悪いということを。」
とか、
「私の夢は”チベットの独立”なんだ」
とか。
数日間いる程度ではよくわからないが、やっぱりいろいろと問題あるんだな、と思いながらノルブリンカを出て、車へ向かった。こういう話を聞くと、自分がいかに恵まれた存在であるかを実感するし、身の程をわきまえずに、日本で政権批判しているお花畑の人たちは、より一層恵まれているのだなあと実感する。
昼食
セラ寺に行く前に昼食をとった。「何が食べたい」と聞かれたので、「バタースープとヤクの肉が食べたい」と言ったら、彼がよく行くチベット料理屋に連れて行ってくれた。
バタースープはバターとミルクと水と塩を混ぜて暖めたような味、ヤクの肉は、まあはっきり言って牛とあまり変らんかった(まあ、牛だし…)。
セラ寺
ラサ北部に建立されたゲルク派の六大寺院のひとつ。また、ガンデン寺、デプン寺とあわせてラサ三大寺院のひとつ。
ここで有名なのが、僧侶たちによる『問答修行』というもの。
相手に対して質問を出し、答え合い仏教の知識と理解を深める修行の一種。
ここでは多くの僧が楽しそうにやっているのが印象的だった。
なおこの空間ではカメラ撮影は許可されていないが、スマホを使っての写真・動画撮影は許可されている。
午後4時ごろガイドと別れ、あとはラサの街中をぶらぶらしていた。
ラサでは午後8時半から日が暮れだすので、それを目途にポタラ宮に行った。
非常にきれいだった。色んなところから写真を撮っていると、時間が午後10時を過ぎていたので、ホテルに戻ることにした。
私が泊まったホテルの周りには、なぜがイスラム教徒のレストランばかりがあったの
で、夜はそこで食事した。
食事が終わったら、ホテルに戻ってさっさと寝た。
2日目
この日も7時ごろ起床。
午前8:45 チベット人ガイドと合流し、バスでポタラ宮の近くまで行く。
ポタラ宮殿
13階建て、基部からの総高117m、建築面積にして1万3000㎡という、単体としては世界でも最大級の建築。
7世紀半ばにチベットを統一したソンツェン・ガンポが宮殿の遺跡を、ダライ・ラマ5世が増補、拡充するかたちで建設した。
写真を見ればわかるように、白い壁と赤い壁があり、白い壁を白宮といい、赤い壁を紅宮という。
白宮は、歴代ダライ・ラマの居住と政治的な執務にあてられた領域であり、紅宮は、宗教的な領域として使用されていた。
内部の部屋数は2000ぐらいあるらしく、向かって見える窓は990あると言っていた(たぶん)。
料金は、冬季閑散期(11月~4月)が100元、夏季最盛期(5月~10月)が200元。
私は5月上旬に訪れたので、丁度値上げしたばかりの200元だったが、観光客は少なく非常に快適だった。
観光客は6月中旬ぐらいからどんどん増えてくるらしく、個人観光客が予約券を手に入れるためには、深夜のうちから予約券発行所に並ぶ必要があるらしい。
パスポート持参必要。
ポタラ宮広場の前に立ち入るには、このようなゲートを超える必要あり
ジョカン
7世紀中頃にソンツェン・ガムポ王に嫁いできた文成公主により建立された。チベット人にとって重要な宗教活動の場で、仏教信徒が憧れる巡礼の聖地。一生に一度は訪れたいと思い焦がれる場所らしい。
正式名称はトゥルナン寺。中国名が大昭寺で、一般には本堂に相当する部分の名称を「ジョカン」と呼ぶことが多い。
正門前では、五体投地で祈る熱心なチベット仏教徒を多く見ることができる。
それにしてもこのジョカンの前にはやたらと警察や武装した軍人が多かった。観光客が写真を撮るのにも、軍人が目を光らせている・・・というのが本当のところ。
ラモチェ
小昭寺と訳すが、ジョカン(大昭寺)にあわせて無理矢理つけられた漢字だとガイドさんが言っていた。
7世紀に文成公主が唐から持参した釈迦(しゃか)像を、先夫グンソン・グンツェンGun-sro gu-brtsa(ソンツェンガンポの息子)の菩提(ぼだい)を弔うために奉納し、建立した寺。
(ここではあまりいい写真が取れなかったので、写真は無し)
ラモチェの案内が終わるとガイドさんと別れた。
別れ際に、明日の飛行機の便の時間帯を聞かれたので、14時と答えると、「それじゃあ11時に待ち合わせしよう」といって分かれた。
分かれた後は、ホテルの部屋でごろごろしたりテレビを見ていたが、せっかくなのでもう一度ポタラ宮まで歩いて行って来た。
午後8時半になると、ようやく日が暮れてくるので、昨日と同様ポタラ宮の写真を撮りまくった。
21時半には完全に真っ暗になるので、撤退した。
30分ぐらいかけてホテルまで歩いて帰った。
途中以下の写真のようなネオンがあった。綺麗なんだが正直なところ、何か違和感を感じる…
ホテルの近くまで来ると、3軒目のイスラム料理店で麺類を食べた。
そのあとホテルに戻って寝た。
つづく
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