【日本】神秘の島、青ヶ島へ その5 八丈島1日観光

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大坂トンネル展望台からの絶景

 

●11月2日
青ヶ島最終日

午前6時前に起床し、朝日を見に行きました。
私が尾山展望公園に到着したころには既に日が昇っており、逆光で綺麗に写せませんでしたが、非常にいい景色でした。

朝食を食べたあと、適当に散歩して、そのあとヘリポートまで送迎してもらいました。
チェックインを済ませ、しばらく待っているとヘリコプターが来ました。

 

 

ということでさようなら。青ヶ島。



 

 

八丈島
八丈島に到着。
案の定宿泊先の迎えは来ておらず。なので電話して来てもらうことにしました。




 

 

宿泊先に到着してチェックイン。
八丈島に到着して最初に思ったことは、
「八丈島って結構大きいな。これは歩いて回るのは無理だな…」


ということでレンタカーで車を借りることに。
自転車やバイクもあったけど、この日は非常に日差しが強いし明日は雨が降るとの天気予報なので、無難に車を借りることに。

 

 

レンタカー会社に電話。
2つ目に電話した会社に空きがあるということで、宿泊先まで迎えに来てもらうことに。
軽自動車を2日分レンタルした。免責保険入れて12000円。ちょっと高い。

 

特に行きたいところもなかったので、島を一周しながら場当たり的によさそうだと思ったところを訪れることにしました。

 

 


南原千畳岩海岸
南原千畳岩(なんばらせんじょうじき)海岸。これは八丈富士の噴火によって流れでた溶岩によってつくりだされた、自然の景勝地。

目の前に広がる海と空と島のコントラストが最高の観光スポットです。

 

 


宇喜多秀家公の碑
宇喜多秀家は、元亀3(1572)年に備前の戦国大名・宇喜多直家の息子として生まれ、明暦元(1655)年に八丈島にて84歳で亡くなりました。ここでは簡単に宇喜多秀家公の生い立ちをまとめてみたいと思います。

 

10歳の時に父を失い、家督を継ぐことになります。今でいえば小学校高学年です。
その後1万人の兵を率いて、羽柴秀吉の『備中高松城水攻め』に参戦します。
その功績で、いきなり備前・美作・備中の半分の計50万石の大大名になります。
今でいえば、登録者数50万人以上の小中学生YouTuberみたいな感じかな?


秀吉に気に入られ、元服時に「秀」の字をもらいます。そして養女の豪姫をお嫁さんにもらっています。
この豪姫は元々前田利家の娘だったので、前田家との縁もできました。

27歳の若さで五大老に就任します。超スピード出世です。今でいえば元SPEEDの今井議員並み?
ちなみに五大老の年齢・石高はこんな感じです。


【五大老】
  前田利家  (61歳)    80万石
  徳川家康  (57歳)  240万石
  毛利輝元  (46歳)  120万石
  上杉景勝  (44歳)  120万石
  宇喜多秀家 (27歳)  57万石



1590年から岡山城の建設に着手します。
1600年の関ヶ原の戦いで、西軍側(豊臣)の副大将となり敗北。
落ち武者狩りの相手に同情されて匿ってもらったり、島津義弘を頼って薩摩まで落ち延びたりして逃げまくるが、1603年に家康へと引き渡されます。


本来だと死罪になるところを、島津家と妻・豪姫の実家である前田家からの嘆願によって死罪を免れ、1606年に八丈島に流刑。
秀家この時35歳。これから先の年月をずっと、この八丈島で過ごすことになったのです。


元和2(1616)年には刑を解かれ、妻の実家・前田家から、10万石を分けるので大名復帰してはどうかと提案があったのですが、秀家はそれを断って島に留まり、明暦元(1655)年、84歳で亡くなったそうです。

 



宇喜多秀家公と豪姫の碑

 

八丈島での暮らし
結局、八丈島での暮らしは約50年ほどを占めていたわけですが、豪姫の前田家や宇喜多家の家来からは援助を受けていたようです。

そのお陰で余生を穏やかに過ごしたという逸話もあれば、島での暮らしはやはり大変だったという逸話もあるようです。

そして、宇喜多家は八丈島で「浮田」姓を名乗るようになり、その末裔は現在でも島に受け継がれているようです。

さて、宇喜多秀家公の碑のすぐ近くにおしゃれなレストランがあったので、そこで昼食をとりました。

 

長寿の秘訣? あしたばソバ

 

大坂トンネル展望台

八丈富士、八丈小島、南原千畳岩海岸など八丈島の有名スポットを一望することができます。
トンネル付近に展望台と駐車場があり、そちらに車を止めて見ることが出来ます。海に沈む夕日を見るのにも絶好の展望スポットらしいです。

 

登龍峠
山の上から道をみると、竜が昇ってくるように見えるため登龍峠という名前がついたようです。登龍峠からの見晴らしは最高です。目の前には八丈富士と八丈小島がよく見えます。

 

長友ロード
日本代表DF長友佑都氏が、FC東京に入団した2008年からオフを利用して八丈島で自主トレをしているようで、それにちなんで名づけられた坂。

 

地図

 

 


玉石垣とは?
八丈島は昔から暴風雨の多い地域のため、風や雨の害から住居をまもるため、溶岩または玉石の石垣(オリという)をめぐらし、その上(土手という)にツバキやシイ等の常緑広葉樹を植えて防風林をつくっていたそうです。

 

 

最後は『末吉温泉 みはらしの湯』の露天風呂から太平洋を眺めておりました。

 

 

つづく

 

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