【ウクライナ】ウクライナ旅行07 チェルノブイリ:リアル2万5千年の荒野 パート1

ウクライナ

この日の目的地は、そう、あの場所…

※けっこう長くなってしまったので、2回に分けて記載します。

 

 

2015/08/06

キエフ到着

列車は定刻通りキエフ駅に到着した。
結局ウクライナでは3回寝台列車に乗ったが、3回とも定刻運行だった。なかなか優秀である。
列車が遅れていたらツアーに参加出来なかった。よかったよかった。

 


さらば寝台列車

 

今日はこれからチェルノブイリ原発見学ツアーに参加する。
ちなみにこのツアーは事前予約しておかないと参加できない。
原発圏内に入るには許可がいるからだ。
申請には最低5営業日ほど必要らしい。HPなどでは、2週間前にはツアー予約してくださいと書いてある。

 

 

ツアー内容
キエフからバンに3時間近く乗り、チェルノブイリ原発、そして廃棄された村、プリピャチを訪れる。
USD140であり、現地の物価としては結構高めである。
HPには毎日ツアーを行っていると書いてあるが、実は行っていないので事前にメールして確認しておいたほうがいい。
(ちなみにプライベートだと本当に毎日開催しているが、お値段はUSD450ぐらいかかる…。)

 

ということで今回参加したツアー会社はここ。ちなみにここ以外でも同類のツアー会社がいくつもある。
どこの会社も大体同じようなルートで同じような値段。
http://www.ukrainianweb.com/chernobyl_ukraine.htm

 

数あるツアー会社の中ここを選んだ理由は、はるばるウクライナから私の携帯電話に電話をかけて来たから。そのことを言ったら「あれが他社とは違う、うちのオリジナルサービスなんだよ。」と言っていた。

 

まずは待ち合わせのホテルに向かった。
ホテルにはすぐに着いた。この近くで1時間ほど暇つぶしをした。

待ち合わせ20分ほど前に、指定の車が到着した。待ち合わせ時間10分前に車の所に行き挨拶した。
ツアー会社の人に、未払い金額の2537クリブナ(約14000円)を払い車に乗り込んだ。

待ち合わせ時間の8:15に他のツアー参加者が来た。
スウェーデン人のおっさん2人だ。

どうやら彼らはクリブナを持っていないらしい。代わりに200ユーロ持っているからこれで何とかなるだろ、とか言っていた。
ツアー担当者はかなり困った顔して事務所に電話していたが、結局これでOKということになった。

ちなみに当時のレートで、EUR100 = UAH 2,420 だったので、
1人当たり大体 100クリブナ(約600円)不足している。こんな奴らと一緒にツアーに行くのか、と思いながら出発した。

 

 

 

キエフ~チェルノブイリの車内


チェルノブイリ

 

 

キエフからチェルノブイリまでは、大体120kmある。車で約2時間である。
スウェーデン人のおっさん1人、トーマスと会話した。

おっさん「今までどこに行ってきたんだ?」
オレ  「ドバイ経由でキエフに入り、キエフからオデッサ、リヴィウを訪れて、またキエフに戻ってきたんだ。」

おっさん「おおそうか。オデッサどうだった?実は俺も昨日までオデッサにいたんだ。」
オレ  「すごい良かったよ。オデッサは街がきれいだと聞いていたからすごい行きたかったんだよ。
     東洋人にとっては、そのような建物はレアだからね。」
     (ああ、また嘘をついてしまった…)

てな感じで会話していた。

 


途中特にすることがないので、予習がてらにゴルゴ13の「2万5千年の荒野」を読んでいた。
ああ、オレ今からこういうところに行くんだな、と思いながら…。

 

2時間ほど走ったところで検問所に着いた。ここが原発半径30km圏内である。
ここでパスポートを見せて照合する。ここからは事前に許可を取った人しかこの先入ることはできない。

ここから敷地内のガイドが付く。
そして放射能が直接皮膚に着かないように長袖シャツを着るよう、そして荷物を地上に置かないように言われる。
また以下のような同意書を書かされる。

 



同意書

 


以上が終われば、ここからさらに車で原発半径10kmまで移動する。
ガイドのユージンさんが英語で説明してくれた。

「みなさんこんにちは。私たちはこれから半径10kmの検問に行きます。その後チェルノブイリ原発で働いている人たちの建物を見ます。ここでは必要品が買えます。
そのあとチェルノブイリ原発の近くまで行き、次に廃棄された村、ピリチャトに行きます。そして少し遅めのランチを食べて、キエフに戻ります。キエフには大体午後7時ぐらいになると思います。」

「1986年4月26日にチェルノブイリで原発事故が起きました。この事故は人類史上最悪の事故であり、今も続いています。ちなみにチェルノブイリ原発では今も多くの人が働いています。
この事故で多くの人が動員され、約○○人が命を失いました(忘れた)。そして多くの人が、チェルノブイリ周辺やキエフから非難しました。
この時拡散してしまった放射能は60kgです。これは広島原爆のときに使用された核物質が300gなので、それの約200倍になります。

残念なことですが、チェルノブイリはもう元には戻りません。なぜならこの時拡散してしまった放射能物質の多くはプルトニウム239やストロンチウムで、これらの半減期は約25000年であり、半減期を迎えたとしても、また別の放射性物質に変わり、その放射性物質の半減期もとてつもなく長いからです・・・」
(おお、さっき読んだゴルゴ13の内容とほとんど一緒じゃないか…。マジでスゲー!)
(あとで調べたがストロンチウムの半減期は28年ぐらいで、プルトニウム239の半減期が25000年らしい(by Wikipedia))

「ただ、一つだけいい点をあげるならば、人間が立ち入れなくなったため、動物にとっては”楽園”が出来たということです。自然は少しずつ回復していっています。しかし、放射能の影響で遺伝子にダメージを与えている可能性は否定できません。」

 


私が覚えているのは以上のような内容だったと思う。
なんかトーマスとエリックが必死にノートにメモっていた。
俺より英語が出来るんだから普通に聞いて覚えろよ、と思ったが・・・。

詳細について知りたい人は、Wikiを参考にして頂きたい。
チェルノブイリ原子力発電所事故

ちなみに「プルトニウム」の名前の由来は「冥王(プルートー)」から来ているらしい。
これもゴルゴ13に書いてあった・・・

 

しばらくして車は原発半径10km圏内の検問所に到着した。

 



検問所

 

半径10km圏内

原発の半径10km圏内には検問所がある。
ここでもう一度パスポートの提示が求められる。ここからいよいよ”汚染地域”である。

5分ぐらい行ったところでおばあさんが歩いていた。
どうやらこのおばあさんは、ここに住んでいる唯一の住民らしい。退避するのを拒み、ここに住み続けているらしい。


同行した人たち

 

しばらくして車が止まったので降りた。
ガイドのユージンさんがガイガーカウンターを取り出して私たちに見せてくれた。

ガイガーカウンターは、大気中では0.3マイクロシーベルト/時(以下μs/h)であるが、
木に近づけると 3.0μs/hになった。更に地面に近づけると、ゲージは10.0μs/hを上回った!

「放射能は宙を舞った後、地面に貯まるんだ。だから同じ場所でもこんなに違うんだ」と説明してくれた。

 


木に近づけると、2.5μs/h


土壌に近づけると、なんと12.0μs/h以上!

 


次に廃棄された建物を見に行った。
建物の中に入った。確かにボロボロのまま廃棄されている。
割れたガラスが散漫していたり、床が一部抜けていたりして、けっこう危険な場所だ。

好奇心旺盛なトーマスが聞いた。
「実際当時の状況はどんな感じだったんですか?」

ユージンさんが言うには、当時私は子供だったのではっきりとは覚えていないが、原発事故が起こった時は今のような大きなニュースにはならなかった。ただ工場で事故が起きたが大したことない、程度の情報しかなかったらしい。
その内、キエフに住んでいる人たちに対して避難勧告が出されたらしいが、その時でも詳細な情報は、流されていなかったらしい。

当時はソ連だったから、このようなことは仕方なかったのかもしれない。
まあ、福島原発事故に関しても、当時の民主党政権は真実を隠していたので、個人的にはあまり批判する気はない。

 



汚染されたカエルがあらわれた!

 


車に戻るとさっきのおばあさんが乗っていた。
どうやらこの先まで送って行ってあげるらしい。

私たちはツアー客だ、と言ったら採れたてのリンゴをくれた。そう、汚染されたリンゴだ。
(正直あまりうれしくない…。)

トーマスが、「彼(私のこと)ははるばる日本から来たんだよ」と言ったら、もっとリンゴをくれた。
(すごい微妙な気分…)

ということで、ちょっと先までおばあさんを乗せて車は出発した。

 

従業員宿舎


従業員用宿舎とモニュメント

 


従業員用宿舎に着いた。ここではチェルノブイリ原発の後処理をする人たちが住んでいる。
おばあさんとはここで別れた。

ここには大体1万人ぐらいが働いているらしい。
2週間ほどここで働き、蓄積した放射能値を下げるため数十キロ離れた町で2週間ぐらい暮らす。
そして再びここに戻り働くという生活をしているらしい。

質問大好きなトーマスが質問した。
「ここでの給料はいいのか?」
ユージンさん
「大体USD600ほどです。これはウクライナ人の月給の平均ぐらいです。」
トーマス
「危険を冒して働いている割には少なくありませんか?」
ユージンさん
「確かにそうかもしれませんが、国もこれ以上増やすと大変ですからこの程度でやるしかないのです。」
トーマス
「…」

 


町にはコンビニもあり、生活に必要な最低限のものはここで大体手に入る。


こんなものまで!

 


ここで働いている人の大半は同じ町に住んでおり、専用の列車に乗ってチェルノブイリに来るらしい。
(ちなみにこの列車は、ウクライナ ~ 一部ベラルーシ領土 ~ またウクライナ(チェルニヒウ)を走るらしい。)

 

長くなったので、次回に続きます。
きみは、生き延びることができるか…

 

(つづく)

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