なんじゃこれ?
前回のつづき
2015/5/3
雨宿りをしながらいろいろ話した。
どうやら彼は旅行会社で働いているのではなく、”旅行ガイド”として働いているらしい。
ちなみにこいつの名前をどうやっても思い出せないので、以下”ブロー”と名付ける。
スタイルとしては、
・応募者にレンタカーを借りてもらい、彼と彼の家族、そして彼の執事で旅行をする。
・レンタカー、施設の入場料、酒(”アラック”というヤシの実の焼酎)以外は一切お金がかからない。
・旅行者の望むように行き先をアレンジ可能。
というものだった。
私が興味のあるシギリヤロックにも行ってくれると言っていたし、セイロン島西海岸 ヒッカドゥワでダイビングも出来るという。
ちなみにスリランカではモンスーンが来るため、時期によってダイビングのシーズンとオフシーズンがある。
11月~4月は西南海岸のヒッカドゥワ、5~10月は東北海岸のトリンコマリーでダイビングショップが営業している。今はちょうど5月なので、多くのダイビングショップはヒッカドゥワの店をたたんで、東北海岸のトリンコマリーで営業しているらしい。
「本当か?」
と確認したら、
「本当だ。だからあまり人がいなくて非常にいいんだ。」
と言ってきた。
そういうことも含め、この様な旅行も悪くないと思い、ブローにアレンジしてもらうことにした。
この様な話をしていると雨も止んだので、ブローの家に行って、家族と面会した。
その後再びホテルの前まで送ってもらい、また次の日、ということで別れた。
ブローの子供
2015/5/4
朝起きて出発の準備をする。
ホテルを出ると、ホテルの前でブローが待っていた。
まずは二人でレンタカー屋に行く。
車はブローがすでに手配してくれていたので、すぐに借りることが出来た。
レンタカー 後日撮影
そして私がレンタカー代(恐らく大体2万円ぐらい)を払って、ブローの家に。
車はマニュアル車しかなかった。しばらくマニュアル車では運転していないので、念のためブローに全部運転させた。
ブローの家 すごい山の上だが、結構大きい
レンタカーでブローの家に行き、荷物と家族を積み込んで出発。
2人の子供はうれしそうだった。
…ていうか、彼らの家族旅行に俺が金を払って同伴している、という形式になっているんだが…。
キャンディを出発して約2時間ほど走行したところで、母親のアーシャ(仮名:名前忘れた…)が、
「ちょっと停まって」
と言ったので、車を停止。
どうしたのかな?と思って後部座席を見ると、なんと一番下の男の子が車酔いして戻しているではないか!!
ということでいったんここでみんな降りて、その子の服を全部取り替える。
その子はすっぽんぽんになって、笑っていた。
「こういうことはよくあるんだよ。」と執事。
「(そうなのか…?)」と思いながら、その子が着替え終わったところで再出発。
この日の移動
再出発をしてから数十分したところで、私たちはダンブッラに到着した。
”ダンブッラ”と言えば、世界遺産の石窟寺院があるのだが…
どうやらみんな興味がないらしく、入り口にある博物館だけ登って終了(一番上の写真)…
(ちなみにこれは別に世界遺産でもない(日本人が作ってあげたらしい))
ここで1時間ほど過ごした後、次なる目的地へ。
車に乗り続けること約2時間ぐらい、遠方に大きな岩が見える。
そう、これこそスリランカ一の世界遺産、シギリヤロックだ。
シギリヤロックは最終日に見て回るということになっていたが、時間があるので少しだけ立ち寄ることにした。
遠方からのシギリヤロック
入り口の手前まで来て、適当に散歩する。
アイスキャンディーを食べるサル
その後さらに1時間半ほど運転して、どんどん田舎の方へ向かっていく。
場所は、
…
どこなのかわからない。おそらくポロンナルワあたりだと思うんだが…
ということで、山奥のどこかにある一軒家に到着。
一応電気はあります。
庭
そこに住んでいる中年夫婦が出てきた。どうやら数日間ここで過ごすらしい。
いいのか悪いのか…。
しばらくしてから夕食の準備が整い、みんなが私を歓迎してくれた。みんなで楽しくお話をした。
食事が終わると、中年夫婦が寝床を用意してくれた。
どうやら私だけ蚊帳付きのベッドで、他の皆は地べたに毛布を敷いて寝るという感じである。
その待遇はうれしかった。
わかりにくいけど、蚊帳付きベッド
しかし、ただ一つ言えることは、
「どこにも逃げられない」
ということである。
そもそもここがどこなのかよくわかっていないし、近くの村まで車でも最低1時間ほどかかる。
つまり、監禁されたら終わりである。
(… ひょっとしてオレやばいことろに来たんじゃね…?)
と思いながら、今日は疲れていたのでさっさと寝ることにした。
つづく
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