【日本】対馬の旅 Excursion of Tsushima 1

日本国内

Ghost of Tsushima

 

 

休みを利用して対馬に行ってきました。

コロナ禍のため海外に行くことが出来ないため、今年は国内にある数年前から訪れようと計画していた場所に積極的に行くようにしています。今年の夏は、九州や山陰地方を中心に旅行していたのですが、恐らく対馬に関する旅行情報は結構マイナーなのかなと思ったので記載したいと思います。



●対馬とは?
日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島。
地理的に朝鮮半島に近いため、古くからユーラシア大陸と日本列島の文物が往来し、日本にとっては大陸との文化的・経済的交流の窓口の役割を果たしてきた。現在は大韓民国(韓国)からの観光客が増加しており、日本の海釣りの名所として知られ、島内の至る所にハングルが併記された標識や案内を見ることができる。

地政学的にはチョークポイントにあたるところから、古代より国境の島として国防上重視され、明治時代から、大日本帝国陸軍は対馬警備隊・対馬要塞を置き、戦後は1956年より航空自衛隊の海栗島分屯基地が設けられ、1961年より陸上自衛隊の対馬駐屯地も置かれ、対馬警備隊へと発展している。また、明治時代には大日本帝国海軍の施設が置かれたこともあり、現在は海上自衛隊の対馬防備隊も所在している。

(wikipediaより)

 

 

 

●行き方
対馬は日本の端の方にあるため、なかなか行きにくいです。
純粋に日本の良さを感じるためにも、外国人観光客が減った今こそが、対馬旅行のチャンスだと思います。

 

 


行く方法
とりあえず博多まで行きます。
博多からは、飛行機で行く方法と船で行く方法の2種類があります。
飛行機だと35分、船だと4時間半かかります。

飛行機だと料金が高くなってしまうのがネックです。
対馬やまねこ空港に就航している便は、福岡・長崎発着ぐらいしかありませんし…。
(片道9000~12000円)

九州郵船

リンク




安くいく方法としては、
福岡空港までLCCで行き、博多港からフェリーで対馬・厳原(いずはら)に行く方法。
夜行便で行けば宿代が浮きますし、厳原港には明朝4:30に到着しますが、希望があれば船内で午前7時まで仮眠できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対馬上陸!

 

島内はレンタカーで移動しました。

 

結構広いです。

 

 

■見どころ
●万松院

ばんしょういん。元和元年(1615年)に宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺。
寺の右側には石段があり、その石段を上った場所に宗家一族の墓所である御霊屋(おたまや)があります。
これは結構見所あります。

詳細は下記のリンクから
リンク
 

 

 

 

 


 

 

綺麗に並んだ灯篭が幻想的

 

悠久の刻を感じる

 

宗家代々の墓が印象的でした。

 

 

●豆酘崎
つつさき。豆酘崎は対馬の南西端の半島です。朝鮮海峡と対馬海峡の境界にあたり、昔からこの周辺は厳しい水路として知られていました。 豆酘崎の先の海には岩礁が連なっており豆酘崎ミョー瀬といいます。そこに1909年(明治42)9月1日に初点灯した旧豆酘埼(つつさき)灯台が建っています。 今は豆酘崎ミョー瀬照射灯(標柱)と言い、平均海面からの高さは23mです。

岬のまわりは尾崎山自然公園となっており、キャンプ場や約1キロの遊歩道、展望所、休憩所などがあり、海に落ち込む断崖の景観を見ることが出来ます。

リンク

 

 

 

すごく海が綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

 

●金田城跡
かねだじょうし。対馬国下県郡の城山にあった日本の古代山城。城跡は国の特別史跡に指定されている。
飛鳥時代の天智天皇6年(667年)に築城された朝鮮式山城で、西日本各地に築城された一連の古代山城のうちでは朝鮮半島への最前線に位置する。近世期までに城の所在は失われていたが、1922年(大正11年)・1948年(昭和23年)の調査で比定が確定され、1985年度(昭和60年度)以降に発掘調査が実施されている。

城は城山の急峻な自然地形を利用して築造されており、城山の東斜面において城壁とともに城門・水門・掘立柱建物跡の構築が認められる。特に城壁としては約2.8キロメートルにもおよぶ石塁が全周し、他の古代山城が土塁を主とするのとは性格を異にする。また掘立柱建物跡の遺構から防人の居住が示唆されるほか、出土品の様相からは奈良時代までの廃城化が推測される。古代の対朝鮮半島の最前線としての重要性、また遺構の良好な遺存状況と合わせて、文献上では知られない当時の防人配備の実情を考察するうえでも重要視される遺跡になる。
(wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

山頂付近には、日露戦争に備え明治34年(1901)に「城山砲台」が置かれ、現在も二十八糎榴弾砲の砲座や弾薬庫、観測所、井戸の跡が残っている。実は、山頂へと続く整備された道は、当時、軍道として使われていたもの。

 

砲台跡

 


そして山を登り切った山頂には、絶景が待っている!

 



●小茂田浜神社
こもだはまじんじゃ。長崎県対馬市厳原に鎮座する神社である。対馬西南海岸に位置し、元寇(文永の役)の際に元・高麗連合軍が上陸した地にあたる。宗右馬允助國(宗助国)を主祭神とする。また元寇で戦死した将士の霊を祀っている。

祭神の宗助國は元寇の役において、国のために戦い命を捧げた。「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」神である。対馬島民は、小茂田浜神社の管理を進め、元寇の650年後の大正13年(1924年)、鳥居の新設や元寇650周年記念碑の建設を実現した。また、昭和49年(1974年)には元寇700年記念碑を建立した。
(wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



元寇750年記念碑もありました。

 

 

ということで次回に続きます。

 

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