2026年3月にアルジェリアに行ってきました。
いろいろなことが斬新で非常に価値のある情報を収集することが出来ましたので、ここでこのブログを読んでいる人に共有したいと思います。
●ティパサへ行く
この日の移動ルート
2026年3月20日
この日は朝9時に待ち合わせして、ティパサに行きました。
ティパサはアルジェから西へ約70kmほど行ったところにあります。
今回の旅で私はプライベートを申し込んだのですが、基本的な流れはこんな感じです。
・ドライバーが所定の時間に私を迎えに来る。
・目的地まで連れて行ってくれる。
・どこかでガイドを拾う。
・目的地に到着し、ガイドに案内してもらう。
・ホテルに戻る。その道中でガイドと別れる。
・ホテルに到着し、ドライバーと別れる。
●ティパサ(Tipasa)
首都アルジェの西約70キロメートルにあるフェニキア・ローマ時代の港湾都市遺跡です。町は紀元前7世紀にフェニキア人により建設され、その後、ローマ帝国、さらにアラブ人に征服されました。今もローマ時代の神殿・劇場・円形闘技場など多くの遺構が残ります。
英名はTipasa。ティパサはアラビア語で、「荒廃した都」を意味するようです。1982年、世界遺産(文化遺産)に登録されました。
その成り立ちは、紀元前6世紀頃にフェニキア人(カルタゴ)が航海の中継拠点として「停泊地」を意味するテパサを築いたことに始まります。その後、西暦46年にローマ皇帝クラウディウスによってローマの直轄植民地となり、北アフリカ支配の重要な港湾都市として黄金時代を迎えました。
4世紀以降、ティパサは北アフリカにおけるキリスト教の重要な拠点へと変貌します。この時期を象徴するのが、遺跡の東側に位置する「大聖堂(バシリカ)」です。大バシリカ(Grand Basilica)はアフリカ最大級のキリスト教建築の一つで、9つの身廊を持つ巨大な空間でした。現在は土台と列柱の基部が残っています。
ちなみにこの遺跡を歩いているといろんな人に話しかけられました。
特に現地人の子供は東洋人が珍しいのか、いろんなことを聞いてきたり、一緒に写真を撮ろうと言ってきました。
しかしその大半が私を「中国人」と思っているようで、何度も「ニーハオ」と言われました。
ガイドに聞いたところ、中国人の出稼ぎ労働者が多いそうです。
だいたい20回話かけられると、その9割が「ニーハオ」で、日本語で声をかけてくる人は1割ぐらいです。
この日は金曜日ということで、ほとんどの店が閉まっていました。ラマダン、そしてイードが終わるとようやく町は活発化するらしいです。そしてそのころにはたくさんの外国人観光客がくるとのこと。だから人が少なくてラッキーだ、とも言っていました。
アルジェリアは入国が厳しいということをアルジェリア人も十分承知しているようで、現座政府はアライバルピザの発行を検討しているとのこと。そのようにして外国人観光客をたくさん取り入れようとしている風潮があるようだ。
それに伴い、教育方針も変更するかもしれないみたいなことも言っていました。
アルジェリアでは、まず初めにアラビア語、そしてフランス語を学ぶのですが、最近は英語教育にも力を入れているとのこと。
別のガイドにも聞いたのですが、中には1か国語しかしゃべれないアルジェリア人もいるそうで、実際アルジェリア人はアラビア語、とフランス語をミックスしながら会話しているようです。恐らく関西人が関西弁と標準語を交互に話すような感じなのでしょう。
そして本来の公用語であるベルベル語は話す人がどんどん減ってきているようです。学校では教わらないため、祖父母・両親が子供に教えるのだとか。しかしすべてを教えるわけではないので、ベルベル語の一部しかしゃべれないそうです。
Tipasa Historic Site
●シェルシェル(Cherchell)
アルジェリアの地中海沿岸に位置するシェルシェル(Cherchell)は、古代には「カエサリア」と呼ばれ、北アフリカで最も洗練された文化を誇った都市の一つです。
シェルシェル
シェルシェルは、紀元前6世紀頃にフェニキア人によって交易拠点「ヨル(Iol)」として築かれました。この街が歴史の表舞台に登場するのは紀元前25年、ローマ皇帝アウグストゥスによってヌミディア王ユバ2世がマウレタニア王国の王に封じられてからです。
ユバ2世は、エジプト女王クレオパトラ7世の娘であるクレオパトラ・セレネを妻に迎え、この街をアウグストゥス帝に敬意を表して「カエサリア」と改名しました。ローマで教育を受けた夫妻は、アレクサンドリアの灯台をモデルにした灯台を築き、劇場、図書館、庭園を備えた壮麗なヘレニズム様式の都市へと再建しました。
ティパサが「自然と溶け合う廃墟」であるのに対し、シェルシェルは「かつての知的な王都の断片」が現代の港町の生活の中に息づいているような、独特の気品漂う街です。
ガイドの話では、このシェルシェルは「悪魔が出ていく」という意味らしいです。
ガイドが私に対して一生懸命説明してくれたのですが、相変わらず英語を理解するのは大変ですね。理解度もさることながら聞いたはなから少しずつ忘れていくので。特に固有名詞を覚えるのは厳しいなあ、もっと勉強しないといけないなあと思いながらこのアルジェリア旅行を体験しておりました。
シェルシェル考古学公立博物館(Archeological Public Museum of Cherchell)
石像がたくさん並べられていたのですが、顔のない石像が多かったです。ガイドに理由を聞くと、もちろん古くて壊れてしまったものもあるが、顔の造形を美しかったのでフランス人が戦争の時に持って帰ったというのもたくさんあるそうです。
ちなみにこの日は金曜日でした。いたるところに白い服を着ている人がいたのでどうしてか、これは正装なのかと聞くと、イスラム教によって金曜日は特別の日で、服装は自由。特別に正装したい人もいれば普通の服装の人もいるよ、と教えてくれました。
またアルジェリアの国旗の意味を教えてもらいました。白は平和、緑はイスラム教の色、そして豊かな大地。そして赤色は独立戦争のために戦争で死んだ人たちの血を意味する。そして月と星はイスラム教を意味する、と言っていました。
●モーリタニア王家の霊廟(Royal Mausoleum of Mauretania)
この霊廟は、紀元前3年頃にモーリタニア王国の国王ユバ2世によって、自身と妻クレオパトラ・セレネ(エジプト女王クレオパトラ7世の娘)のために建てられたと考えられています。
ユバ2世はローマで教育を受けた知識人であり、この建物には彼が親しんだ地中海諸国の文化の融合が見て取れます。北アフリカ伝統の円形墳墓の形式をベースにしつつ、エジプトのピラミッドやギリシャ・ローマの建築様式が取り入れられた、まさに当時の国際的な文化交流を象徴する建造物です。
外観は巨大な円錐形のピラミッドのような姿をしており、非常に独特な構造を持っています。
直径は約60メートル、高さは約32メートルに及びます。海抜約250メートルの丘の上に建っているため、地中海を航行する船からも確認できるほどで、古くから航海の目印としても利用されてきました。
建物の東西南北の4箇所には、精巧な装飾が施された石造りの「偽の扉」が配置されています。実際の入り口は地下に隠されており、盗掘を防ぐための工夫が凝らされていました。
地元では古くから「キリスト教徒の女の墓(Tombeau de la Chrétienne)」と呼ばれてきました。これは、偽の扉の装飾が十字架に見えたことから生じた誤解と言われていますが、今でもその名で親しまれています。
ガイドの話では、本当はピラミッドみたいなお墓を作ることを目的にしていたがそれはできないので、特別なお墓を作るということでこのお墓を建てたそうです。真ん中の十字はキリスト教ではなく、道標を意味しているようです。確かに建てられたのは紀元前2300年で、この頃はまだキリスト教は布教していなかったので。
これでティパサ半日ツアーが終わり、14時過ぎにホテルに戻ってきました。
このあとは19時に空港に向けて出発するということだったので、ホテルに荷物を預けてアルジェの町を探索に行きました。
つづく


















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