【アルジェリア】アルジェリア紀行05 砂漠の街エルメニアに向かい、砂漠観光を経験する

アルジェリア

2026年3月にアルジェリアに行ってきました。
いろいろなことが斬新で非常に価値のある情報を収集することが出来ましたので、ここでこのブログを読んでいる人に共有したいと思います。

 

 

 

●ガルダイアからエルメニアへ

この日のルートです。


 

 

 

2026年3月22日
この日は早朝ガルダイアを出発して、エルメニアに向かいました。
距離は約270kmあり、車で4時間弱かかりました。

スケジュールでは、私とドライバーだけが現地に訪れるという話だったので、現地での観光などは期待していなかったのですが、エルメニアに到着したらガイドが案内してくれたり、近くの砂漠へのサファリツアーに参加させてくれたりと、結構満足のいく内容でした。

ちなみにエルメニアは数十年前まではエルゴレアと呼ばれていましたが、最近ではエルメニアでほぼ統一されているようです。しかし空港の名前は「エルゴレア空港」だったり、まだ一部の場所では古い地名が使われているようです。

ちなみに「エルメニア」というのは英語発音で、フランス語の発音では「エミニア」というように聞こえます。
なので私の発音では全然通じませんでした。


ということでホテルで朝食をとった後、午前9時にドライバーがホテルの前まで迎えに来てくれました。
私が見た限り、アルジェリアは道路が非常に発達しています。町の中心街になると2車線が普通になり、地方に行くにつれて1車線になります。また信号はほとんど存在せず、大半がラウンドアバウト(円をぐるぐる回るやつ)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルジェリアは日本と違い、一つの街に集中して人が住むという街の形態です。なので都市間の間には住宅地はほぼ存在せず、ただひたすら数十キロを車で突っ走るという感じになります。
街の入り口、または数十キロおきに警察官が立っており、行き来する運転手に対して簡単に質問をします。そうすることで変な往来がないか常に確認しているそうです。この辺が日本と大きく違います。
ちなみに、警察官や軍組織を写真を撮ることはNGです。

 

 

 

ガルダイヤからエルメニアまでは約270kmほど離れていますが、途中に存在する町は2つぐらいで、そのどちらも恐らく数百人程度しか住んでいないような小さな町でした。この区間はいわゆる「荒野」なのですが、微妙にその風景が変わるのが魅力的でした。はじめのうちは岩山がむき出しであるものが少しずつ景色を変えてゆき、そのうちいわゆる「砂漠」みたいな景色になったりといった感じで、見ていて飽きなかったです。またところどころ緑がありました。これは意識的にプランテーションしているところらしいです。


運転中はドライバーがYoutubeでアラビア語の歌を流したり、コーランの一節を朗読したような歌を聞いていました。まさに異国情緒みたいな感じで面白かったです。
そんな感じで午後1時ごろにエルメニアに到着しました。

警察には青と白の警察と、緑と白の警察があるようです。
青と白の警察は基本的には都心部、緑と白の警察は基本的には地方に位置しているようです。

 

 

 

 

●エルメニアとは
アルジェリアの「エルメニア(El Menia)」は、サハラ砂漠のほぼ中央に位置する美しいオアシス都市です。かつては「エル・ゴレア(El Goléa)」という名で知られており、現在もその愛称で呼ばれることが多くあります。
「サハラの宝石」とも称されるようです。

町全体には約18万本とも言われるナツメヤシの木々が茂り、砂漠の中にありながら非常に緑が豊かです。この地域の地下水は質が良いことで知られ、飲料水としても利用されています。その資源を巡ってその昔ベルベル人とトゥアレグ人が領土争いしていたそうです。また 町の近くには塩湖があり、夕暮れ時には砂漠の風景と相まって非常に幻想的な景色が広がります。

私が訪れたのは3月で、気候としてはちょうど気持ちいい時期でした。大体20~24℃程度だったと思います。長袖で十分でした。
夏は非常に厚くなるようで、40℃を超えるようです。

 

 

 

 

●主な見どころ
ヴュー・クサール(旧要塞)
町を見下ろす丘の上にある9世紀頃の古い要塞跡です。ここからはオアシスの豊かな緑と、その向こうに広がる広大な砂丘(大西部砂丘)を一望できます。ガイドに案内してもらいました。
確かベルベル人とトゥアレグ族が水やデーツを求めて争いをしてるとか、政略結婚で結婚した女王様がここに住んでたんだが、質素な暮らしをしていたとか、19世紀になるとフランス人がこの地を征服し、頂上に伝書鳩で交信するための部屋を作ったとか、そんなことを言っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


サン・ジョセフ教会(Église de Saint Joseph)
1930年代に建てられた、サハラで最も古い教会の一つです。ここには、サハラで活動した修道士シャルル・ド・フーコーの墓があることでも有名です。私が訪れたとき、ちょうどイタリア人の団体ツアーと遭遇しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国立エル・メニア博物館
地元で発掘された恐竜の化石や、新石器時代の遺物、伝統的な工芸品などが展示されています。
東洋人が珍しいのか、従業員が「私の写真を撮らせて」と言ってきたので撮らせてあげました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゲストハウス Dar Ma Ward

エルメニアに行くにあたり、事前に私が「現地の伝統的な食事が食べたい」とお願いしていたので、それを食べることになりました。場所はツアーガイドが経営しているゲストハウスです。
どうやらこの建物はガイドの父から受け継いだ建物らしく、ゲストハウスの他に図書館も併設していていろんなアラビア語、フランス語の本が置いてありました。

味ははっきり言うと、「値段の割にはそれほどおいしくない」でした。
まあこれもいい経験なんで特に気にしていないですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17時に出発ということで、時間になるまでの間、ソファに座ってボケーとしていました。
そして時間になったので出発しました。
ここエルメニアは街を外れるとすぐに砂漠になり、4台のクルーザーで砂漠を横断しながらHassi El Garaという湖の近くまで走りました。
途中窓を開けて車外を撮影していましたが、風が非常に強く、砂が車内に入ってくるため、何度も窓を開けたり閉めたりしながら撮影していました。
ここには湖はありますが、はっきり言うとそれ以外は砂漠しかないところでしたが、このような経験はほとんどしたことがなかったので、非常に楽しめました。
日が沈むまでここに滞在し、日が沈んでから夜の砂漠を通って元の場所に戻りました。

 


Lac de Hassi El Gara
サハラ砂漠のオアシス都市エル・ゴレアの近くに位置する塩湖です。周囲の黄金色の砂丘と、空を映し出す青い湖面のコントラストが非常に幻想的です。渡り鳥の飛来地としても知られ、乾燥した大地の中に突如現れる豊かな水辺は、旅人の心を癒やす隠れた名所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


砂漠ツアーが終わって、現地のドライバーが私をホテルまで送ってくれました。
東洋人が珍しかったのか、私の写真を撮っていました。

 

 

この日宿泊したホテル

Al Bustan Hotel

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この日は電波の悪いところを走ったためか、途中インターネットに繋がらなかったところが多々ありました。
地方ではこういうことが起こるので少々困ります。運転士とコミュニケーションが取れなくなったりするし。
仕方ないですが。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

コメント

タイトルとURLをコピーしました