【アルジェリア】アルジェリア紀行10 断崖絶壁にかかる橋の街コンスタンティーヌの一日観光

アルジェリア

2026年3月にアルジェリアに行ってきました。
いろいろなことが斬新で非常に価値のある情報を収集することが出来ましたので、ここでこのブログを読んでいる人に共有したいと思います。

 

 


●コンスタンティーヌ

「橋の街」の異名を持つ、断崖絶壁の上に築かれた要塞都市です。深い渓谷をまたぐ数々の巨大な吊り橋が、都市の地区同士を繋いでいます。そのドラマチックな景観は世界でも類を見ず、ローマ時代からの長い歴史と、高所から見下ろす絶景が訪れる人々を圧倒します。

 

 

 

2026年3月27日
この日はコンスタンティーヌを1日観光しました。
当初は女性のガイドが案内してくれる予定だったのですが、数日前から声が出なくなってしまったようで、急遽旦那さんも一緒についてきてくれるということになりました。
旦那さんの英語力はそこそこということで、一般的な説明は旦那さんがしてくれましたが、英語で説明できない箇所やガイドとしての説明ができない箇所に関しては、奥さんが小声で話した内容を英語で説明してくれるという感じでした。
でもまあ英語力は私よりも優れてましたね。

 

この日のルート

 

 

朝食
個人的にうれしかったことは、朝食が今までで一番優れていたこと(エルウェドは除く)。
今までまともな食材がなかったので、この食材の多さには満足しました。

 

 

 

気候
アルジェリア北部は日本と大体同じような気候だとは思っていましたが、南部のガルダイヤやエルメニアも訪れるため、冬用の服はもっていかず薄着の服しか持って行っていませんでした。
この日のコンスタンティーヌの気温はだいたい2℃~4℃でさらに多少の小雨が降り風がすごい吹いていて、非常に寒かったです。私は服を5枚ぐらい着ていたのですが全て薄着だったため、あまり効果ありませんでした。本当に非常に寒かったです。

 

 

ということでここからがコンスタンティーヌの紹介です。

 

Amir Abdel Kader Mosque(アミール・アブデルカーデル・モスク)
コンスタンティーヌにある、アルジェリア最大級(2番目の大きさ)のモスクです。白を基調とした壮麗なイスラム建築で、空高く伸びる2本のミナレットが街のランドマークとなっています。内部の装飾も非常に繊細で美しく、現代アルジェリアの宗教建築の粋を集めた傑作です。

このモスクは、アルジェリア独立運動の父であり、国民的英雄として敬愛されるアミール・アブデルカーデル(19世紀の抵抗指導者)の名を冠しています。建設プロジェクトは1960年代末に始まり、長い歳月と職人たちの献身的な努力を経て、1994年に完成しました。コンスタンティーヌの近代的なエリアに位置し、単なる礼拝所としてだけでなく、併設された「アミール・アブデルカーデル・イスラム科学大学」とともに、アルジェリアにおける信仰と最高学問の拠点としての役割を担っています。

外壁は白く輝く大理石や石材で覆われ、中央には巨大なメインドームが鎮座しています。壁面や柱には、繊細なタイル装飾(ゼリージュ)や、漆喰彫刻、木彫りが施されており、その一つ一つにイスラム美術特有の緻密な幾何学模様や植物文様が描かれています。そして巨大なシャンデリアが天井から吊るされ、ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、静謐で神聖な空気を作り出しています。
アルジェリアの伝統的な「アラブ・アンダルシア様式」を基盤にしつつ、現代的なスケール感を取り入れたその姿は、北アフリカのイスラム建築の粋を集めたと言われています。

モスクの四隅のうち二箇所に立つミナレット(光塔)は高さ約107メートルに達し、街のどこからでも視認できるランドマークとなっています。モスクの内部は、数千人の礼拝者を収容できる広大な空間が広がっており、その豪華な装飾は訪れる者を圧倒します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

Sidi M’Cid Bridge(シディ・ムシド橋)
20世紀初頭、急峻な断崖絶壁に囲まれたコンスタンティーヌの街は、さらなる拡大のために深いルメル峡谷をまたいで対岸と繋がる必要がありました。橋は1912年に開通し、カズバ(旧市街)とシディ・ムシドの丘(病院や戦没者慰霊碑があるエリア)を強固に結びつけました。開通当時は地上からの高さが約175メートルに達し、世界で最も高い場所にある橋としてその名を轟かせました。

シディ・ムシド橋は全長は164メートル。深い谷底から175メートルの高さに架かっており、そのスリル満点の立地から「空中を歩くような感覚」を味わえます。橋の入り口は岩壁を掘削して作られており、自然の造形美を損なうことなく、都市インフラとして完璧に組み込まれています。
この橋は、単なる移動手段を越えて、街の歴史を見守る展望台のような役割を果たしてきました。
橋の上からは、ルメル川が削り出した荒々しい渓谷の底や、崖の縁にギリギリに建つ古い家々を一望できます。北側には戦没者慰霊碑が、南側にはカスバの街並みが広がる、コンスタンティーヌ随一のパノラマスポットです。

 

 

 

 

 

下からの撮影

 

 


 

 

Monument aux Morts(戦没者慰霊碑)
コンスタンティーヌの崖の端に立つ、第一次世界大戦の犠牲者を追悼する記念碑です。勝利の女神像が掲げられた門のようなデザインで、ここからはルメル川が削り出した深い渓谷と市街地を完璧に見渡すことができ、地元の人々の憩いの場にもなっています。

 

 

 

 


 

 

Bab El Kantra Bridge(バブ・エル・カントラ橋)
コンスタンティーヌの「北の玄関口」として知られる、街で最も歴史的な場所にある橋です。
この場所には、古代ローマ時代からすでに橋が架けられていました。その後、幾度も破壊と再建を繰り返し、オスマン帝国時代の1792年には太守サラー・ベイによって重厚な石造りのアーチ橋が築かれました。現在の橋は、フランス統治時代の1863年に近代的な交通を支えるために再建されたものです。

現在は美しい石造りの外観を維持しつつ、鉄鋼構造を組み合わせた堅牢な造りとなっています。ルメル川の底から約125メートルの高さに位置し、旧市街と鉄道駅方面を結ぶ主要な動線です。コンスタンティーヌが「自然の要塞」であったことを象徴する、最も重厚感のある橋の一つです。

 

 

 

 


 

 

Mellah Slimane Bridge(メラー・スリマーン橋)
街の中心部と鉄道駅を結ぶ、歩行者専用の細身の吊り橋です。
1925年に完成したこの橋は、近くにある巨大な「シディ・ムシド橋」を設計したフェルディナン・アルノダンの死後、その息子によって完成されました。シディ・ムシド橋をそのまま小さくしたような美しいデザインから「小さな吊り橋」とも呼ばれ、市民の日常的な足として親しまれています。

全長約125メートル、幅はわずか2メートルほどしかなく、峡谷の底から100メートル以上の高さに架けられています。最大の特徴は、歩行者が通るたびにわずかに揺れるその構造です。崖の斜面に張り付くように作られたエレベーターで橋の入り口まで降りることができ、空中を歩いているかのようなスリルと、眼下に広がるルメル川の激しい流れ、そして断崖絶壁に迫る街並みを間近に楽しむことができます。

 

 

 

 


 

 

メラー・スリマーン橋からエル・ベイ宮殿にかけて、結構歩きました。またそれ以外に撮影した写真を載せておきます。

 

マーケットを歩いたのですが、金曜日(イスラム教の休日)だったのでほとんど開いていませんでした。

 

 

 

壁の上側に形づけられているこの逆階段が、コンスタンティーヌの建築様式らしいです。

 

野良猫もたくさんいました。

 

 

Elbey Palace(エル・ベイ宮殿)
コンスタンティーヌの歴史地区に位置するエル・ベイ宮殿(Palais d’Ahmed Bey)は、オスマン帝国時代のアルジェリアにおける建築芸術の最高傑作の一つです。
この宮殿は、コンスタンティーヌを統治したオスマン朝最後のベイ(太守)であるアメド・ベイによって、1825年から1835年にかけて建設されました。アメド・ベイは1825年のメッカ巡礼の旅の途中で目にした数々の美しい宮殿に触発され、自身の故郷にもそれに匹敵する住居を築くことを決意しました。しかし、完成からわずか2年後の1837年にフランス軍によって街が占領され、宮殿はフランス軍の司令部として接収されるという数奇な運命を辿りました。

宮殿は、伝統的なアラブ・アンダルシア様式に基づき、外部に対しては堅牢な壁で守りつつ、内部には驚くほど開放的で美しい空間が広がっています。宮殿内には大小4つの中庭があり、それぞれがナツメヤシやオレンジの木、噴水で彩られています。中庭を囲む回廊には、266本もの精巧な大理石の柱が立ち並んでいます。

回廊の壁面には、アメド・ベイが巡礼の旅で訪れたアレクサンドリア、カイロ、イスタンブールなどの風景を描いた総面積約2,000平方メートルに及ぶ巨大なフレスコ画が広がっています。チュニジアやイタリアから取り寄せられた色鮮やかなタイル(ゼリージュ)や、シダーウッドを用いた緻密な天井彫刻が、部屋ごとに異なる表情を見せます。

フランス統治時代には軍事拠点として使われたため、一部の壁が塗り替えられるなどの改変を受けましたが、独立後に大規模な修復作業が行われ、現在は「国立伝統・現代文化芸術博物館」として公開されています。


ちなみにイスタンブールの壁画が現在のイスタンブールの街並みと異なっていました。そのことについてガイドに聞いてみたところ、当時は今と違って写真がなく、かつ実際にイスタンブールを見た人と壁に絵を描いた人も異なり、イスタンブールを見てきた人がその風景を絵描きに伝えてそれを描いたため、今日のイスタンブールと違っているのです、と教えてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

Cirta Museum(シルタ博物館)
コンスタンティーヌの旧名「シルタ」を冠した、国内有数の歴史博物館です。先史時代からヌミディア、ローマ、イスラム時代に至るまでの膨大な出土品が収蔵されています。

「シルタ(Cirta)」とは、古代ヌミディア王国の首都であった時代のコンスタンティーヌの呼称です。博物館はフランス植民地時代の1852年に考古学協会によって設立され、現在の建物は1930年に開館しました。コンスタンティーヌとその周辺地域(ティムガットやジェミラなど)は、古代から肥沃な大地と険しい地形により文明の十字路となってきました。この博物館は、その地から発掘された膨大な遺産を保存・展示するために建設されました。

特徴
かつての首都シルタの栄華を伝えるヌミディア王国の青銅器や、ローマ時代の精巧な石像、墓石が展示されています。またジェミラなどの周辺遺跡から運ばれた巨大なモザイク画が、壁一面や床に展示されていました。そして古代だけでなく、この地域に人類が居住し始めた先史時代の石器から、中世イスラム時代の洗練された陶磁器、コインもありました。

 

 

 

 

 

お札の絵にもなっているバッファロー

 

 

 

勝利の女神

 

酒の神バッカス

 

北アフリカの変遷

 


 

 

Hotel Panoramic
コンスタンティーヌで宿泊したホテルです。

 

 

 

 


 

 

感想
コンスタンティーヌは本当に崖だらけの街で、その崖の間を橋でつないでいるというよう異様な街並みが非常に魅力的で美しかったです。よくこんなところにこんな橋をかけたな、思いました。
非常に寒かったですが、最終的に色々見て回ることができて非常に面白かったです。

ツアーが終わった後、ガイド行きつけの伝統料理店に連れて行ってもらいました。美味しかったですがはっきり言うと質の割に値段が高かったです。しかし追加でお菓子をくれたりして非常に優しい店主でした。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

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