2026年3月にアルジェリアに行ってきました。
いろいろなことが斬新で非常に価値のある情報を収集することが出来ましたので、ここでこのブログを読んでいる人に共有したいと思います。
●コンスタンティーヌからアルジェに向かう
2026年3月28日
この日は午前9時にコンスタンティーヌを出発し、途中ジェミラというローマ帝国の遺跡を見学した後、首都アルジェに戻るという道のりになります。この日も約30名の警察官、合計10台の警察車両が私が乗る車を先導してくれました。非常に感謝です。
この日のルート
●コンスタンティーヌ出発前
この日のコンスタンティーヌは非常に天気が良かったです。残念でした。出発が午前9時だったので、それまでの間に街を散歩しました。途中でトラムを見に行ったのは良かったです。もっとたくさんの写真を撮りたかったのですが、トラムの前に警察官がうようよしてたのであまり写真を撮ることができませんでした。後で調べたところ、ここには刑務所がありました。
●ジェミラ Djmila
標高約900メートルの山岳地帯に位置するローマ遺跡で、山の地形を巧みに利用した都市設計が特徴です。繊細なモザイク画が数多く残る博物館や、美しいフォーラム(広場)、保存状態の良い劇場が見どころです。周囲の荒涼とした山々と調和した遺跡美は息をのむほどです。
ジェミラは1世紀末にローマの退役軍人のための居住地として建設されました。平地に造られる一般的なローマ都市とは異なり、険しい山の地形に沿って設計されたユニークな都市構造が特徴です。当初のフォーラムから、3世紀のセプティミウス・セウェルス帝時代に拡張された「新フォーラム」への変遷が見て取れます。そこには帝国の権威を示す「セウェルスの神殿」や「カラカラ帝の凱旋門」が毅然と立ち、山岳地帯の厳しい自然と石造建築の美しさが調和しています。併設の博物館には、住宅の床を飾っていた神話図の巨大モザイクが壁一面に展示されており、辺境の地でありながら当時の芸術水準が極めて高かったことを証明しています。
ここもローマ帝国の遺跡がたくさんありました。同じようなものばかりを見てきたので正直見飽きていた感がありましたが、非常に素晴らしい建物で壮大でした。上記に記載している通り、この街並みはそれぞれ建築された時期が異なり、それぞれの目的に応じて都市を拡張していきました。
これらは墓地の石碑です。これらの石碑は地元で取れたものではないく、フランス軍がどこからか集めてきたものを一時的にこのジェミラに置いていたのですが、その後戦争が激しくなり自国に持ち帰れなくなったため、ここにそのまま置かれてしまっているようです。
ここで女の子は私に話しかけてきました。何を言ってるのかわからなかったんですが、後でガイドに聞くと「アルジェリアにようこそ」って言っていたらしいです。こういう時にでもやっぱり言葉が喋れることの大切さを非常に実感しました。また老夫婦が一緒に写真を撮りたいって言ってきたので、写真を撮りました。ガイドの話によると、どうやら私が日本人っぽくて日本語を話してるように見えたので、一緒に写真を撮りたいと思い、私に声をかけたそうです。
一通り見て回ったところ昼過ぎになったので、少し大きな町に行き、そこのレストランで食事をとることにしました。ガイドとはそこで別れました。そこからバスに乗ってコンスタンティーヌに戻るとのことです。
このレストランで食事をとりました。これで750ディナールでした。非常に安い方だと思います。食事をした後、ひたすらアルジェに向けて走り続けました。
アルジェに向かって走っていると、前方に白い山が見えました。
アルジェリア北部には、地中海沿いに東西に走るテル・アトラス山脈があり、 ララ・ヘディジャ山(Lalla Khedidja)というそうです。山は雪に覆われており美しいピラミッド型をしていました。名前は16世紀に伝説的な活躍をした女性戦士ララ・ヘディジャにちなんでいるようです。ドライバーのナジフさんが教えてくれました。標高: 2,308m
ララ・ヘディジャ山(Lalla Khedidja)
●アルジェに到着
ということでこの日も300km以上走行し、ようやくアルジェに戻ってきました。
宿泊したホテルは初日と同様、ABCホテルです。
ドライバーとはここで記念撮影して別れました。まあ結局次の日も会うのですが…。
1人になったのでこの後街でぶらぶらしながら、適当なレストランに入って食事をしました。
それにしてもこちらの人たちの食事の仕方は…。これも文化なんでしょうか…。
つづく






















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