【日本】神秘の島、青ヶ島へ その3 青ヶ島を探索する

日本国内

 

2020年10月31日、11月1日

2日間かけて、青ヶ島のいたるところを歩きましたので紹介したいと思います。

 

 

 

 

■集落付近

島の北側です。

 

 

 

牛を飼っていました。

 

 

 

ヘリポート
ヘリポートを抜けると神社があります。

ヘリコプターが離着陸する、9:30~9:50にかけて通行止めになります。

 

 

 
 

八丈島警察署、青ヶ島駐在所

島唯一の警察です。島唯一の信号もこの近くにあります。

 

 

青ヶ島小学校・中学校

小中学生が約10人、先生が30人弱らしいです。
学校の先生が多い理由は、中学は各科目ごとに先生が必要だかららしいです。 

 

 

 

佐々木次郎太夫 の像

1785年4月18日に発生した火山活動により、青ヶ島の島民は八丈島へ避難しました。1824年に名主の佐々木次郎太夫らが還住(全島帰還)を果たしましたが、その功績をたたえて建てられたそうです。 佐々木次郎太夫氏は”青ヶ島のモーセ”と呼ばれているようです。

 

 

 

佐々木次郎太夫 の墓

 

 

 

十一屋酒店

島唯一の売店です。食料の品揃えは結構良かったです。
焼酎、Tシャツ、小物などのお土産もここで買えます(ここしか買えません)。

 

 

 

 

 

青ヶ島レンタカー

ヘリポートから歩いて数分のところ。十一屋酒店の正面です。

 

 

 

青ヶ島郵便局

郵便ポストが塞がれており、土日に投函できない…。

 

 

 

島唯一のお寺らしいです。

 

 

平成降ろし坂トンネルを通り、カルデラのふもとへ行きます。

 

 

 

■ここからはカルデラの内部

山のふもとに到着してしばらく(1kmぐらい)歩いていくと、「ふれあいサウナ」と「三宝港」の分岐点に行きます。

まずは港のほうに向かいます。

 

 

 

噴火犠牲者の碑

1785年4月18日に発生した火山活動により、島民327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人余りが死亡したと考えられており、その人たちの碑です。とは言ったものの道路の脇にあり、なんか取り沙汰されている感が否めない…。

 

 

 

三宝港

島の南西部に位置します。天気がよければ週に4回船が寄港します。
午前7時に村全域にわたり、あおがしま丸の運航情報が案内されます。

 

集落から三宝港に行く直通ルートは崖の崩落により10年以上も不通のため、遠回りして港に向かう必要があります。
6kmぐらいかな?私は全部歩いてみました。

 

船着場は波が強いため、船を長時間停泊させることが出来ないため、架空索道で陸上にある船溜りに移動させています。
現地ではこれを「空飛ぶ船」と言うらしいです。

 

カルデラ内部からの青宝トンネルを抜けると…

 

 

 

港に到着します。

 

 

 

 

 

 

 

 

多くの人が釣りを楽しんでいました。

 


 

 

ふれあいサウナ

地熱を利用して作られたサウナ。300円で入ることが出来ます。地元の人も頻繁に利用しているようです。

またその近くにある地熱釜を自由に使うことが出来ます。

 

 

 

 

この近くにキャンプ場があり、本来だと多くの客で賑わっているのでしょうが、コロナの影響でキャンプが禁止されているため、人はまばらでした。とは言ってもここでしかすることがないので、しぜんと多くの観光客がこの付近に集まっていました。

 

 

サウナに入って外に出ると時間は17時30分。

あたりは真っ暗になっていたので、宿の主人に電話して車で迎えに来てもらいました。

数十分後に車が到着し、民宿に到着。帰りのほとんどは上り坂なので助かりました。

 

ということで民宿で夕食を食べました。

 

 

 

 

夜は夕食を食べた後、ずっと宿の主人と話をしていました。
理由は、「宿の主人がいろいろ会話したかったから」だと思います。

あえて名前は伏せますが、その宿の主人は昔12年間青ヶ島の村長をしていたようで、その功績が認められ今回叙勲されるようになったようです。
本来は2020年春に叙勲されるようでしたが、新型コロナの影響で秋に延期され、本来は11月に行く予定だったらしいのですが、コロナの影響が未だ落ち着いていないのと、当日NHKの取材が来るために、本島に行くことを諦めたようです。

 

 

ということで私に対し、”叙勲”に関して非常に詳細に語ってくれました。
各勲等の内容、そのような人が表彰されるか、叙勲式が行われる場所、叙勲に合わせて送られてくる賛辞と、それに対する返答方法やそれにかかる費用など。

 

ちなみに、ふれあいサウナやひんぎゃの塩工場も彼の時に作ったり、村民総出で八丈島への避難訓練を行ったり、島に1つしかない病院の質を向上したり、いろいろ取り組まれたそうです。

 

話を聞いている最中、

「自由に酒を飲んでいいよ」

と言われたので、日本酒、焼酎、ウィスキーを飲みながら話を聞いていました。

 

 

つづく

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました